日本の国土!
★『七色いんこ』「十一ぴきのネコ」(手塚治虫漫画全集『七色いんこ』第7巻所収、初出『週刊少年チャンピオン』昭和57年(1982年)4月2日号)
先生「セリフがしゃべれる ようになれば 大成功です」
先生「その十人の中に 確か円心寺の 木魚のありかを 知ってる子がいる はずなんですよ」
いんこ「日本の国土ッ」
文脈から推測すると、いんこが本来発するべきセリフは、「なんだって!」等の驚愕を示す表現になるはずである。しかし、そこに「日本の国土」などという、脈絡のないフレーズが出てきてしまっている。
さて、これは一体何か?
ネットの海は広大なので、先人たちが既に当たりをつけている。
虫ん坊6月号 読者のコーナー - TezukaOsamu.net/jp
おそらく当時の流行語だと思われますが、いったい誰が言い出した言葉なのか。なにやら政治的なかおりもしますので、政治家かしら? それとも…?
手塚治虫の公式サイトでは「おそらく当時の流行語」「政治的なかおり」などと、ずいぶんと奥歯に物が挟まった言い方をしているが、俺らの世代より上の世代(30〜40代以上)にとって、「日本の国土」というフレーズから連想されるものはただ一つ、「北方領土問題」である。
竹熊健太郎のブログでも(コメント欄で)同様の指摘が見て取れる。
おそらく、手塚先生が考えた一発ギャグだと思われますが、それがなぜ「日本の国土」なのか、意味なり由来なりがおわかりになる人はいますでしょうか。
『七色いんこ』が週刊少年チャンピオンで連載されていたのは、1981年3月から1983年5月まで。この頃の北方領土問題関連の出来事といえば、wikipediaによると、北方領土の日の設定である。
ニュース等でそれなりに取り上げられる機会が多かったはずである。よって、『七色いんこ』の「日本の国土」が北方領土を指しているのは間違いないといえるだろう。実際、こんな使われ方もしている。
★『七色いんこ』「幕間II」(手塚治虫漫画全集『七色いんこ』第6巻所収、初出『週刊少年チャンピオン』昭和57年(1982年)1月29日号)
ホンネ「日本の国土ーっ」
ホンネ「北方領土を日本に返還せよー」
これは何らかのフレーズの置き換えではなく、そのままの意味での使用。煽り文句を目覚まし代わりに発しているシーンである。
時代背景的にぴったりだし、時事ネタをうまく取り込んだ結果のフレーズなのであろう。ついでに『七色いんこ』にはこんなシーンもあったりする。
★『七色いんこ』「結婚申込」(手塚治虫漫画全集『七色いんこ』第5巻所収、初出『週刊少年チャンピオン』昭和57年(1982年)1月1日号)
万里子「へんねー あれ 日本の島に まちがい ないけど」
デブッチョフ「じゃ… 勘ちがい ですな あれは ソ連の島!」
万里子「あれ日本の 島ですよ 日本の地図に ちゃんとそうなって ますよ!」
デブッチョフ「クナシリ エトロフは ソ連領だ ソ連の 地図が正し いんです」
万里子「じょうだん おっしゃい 人に笑われ るわ」
「日本の国土」は、竹熊氏の言うとおり、ギャグフレーズとして作り出されたものと考えられるが、しかし、その試みは成功していると言い難い。手塚作品で「日本の国土」が用いられたのは、オレが調べた限りでは4回。
★『七色いんこ』「ベニスの商人」(手塚治虫漫画全集『七色いんこ』第5巻所収、初出『週刊少年チャンピオン』昭和57年(1982年)1月15日号)
(カラシが口の中に入って)
ライオン「日本の国土っ」
★『七色いんこ』「幕間II」(手塚治虫漫画全集『七色いんこ』第6巻所収、初出『週刊少年チャンピオン』昭和57年(1982年)1月29日号)
(上記引用済)
★『七色いんこ』「十一ぴきのネコ」(手塚治虫漫画全集『七色いんこ』第7巻所収、初出『週刊少年チャンピオン』昭和57年(1982年)4月2日号)
(上記引用済)
★「山の彼方の空紅く」(手塚治虫漫画全集『サスピション』所収、初出『ジャストコミック』昭和57年(1982年)5月号)
正造「校長先生ッ」
正造「日本の国土ッ」
校長「あんたら ふたりと 話をしに きた!」
他にもあるかもしれん。時期は全て1982年である。ホンネの例を除けば、とりあえず、何らかの形での驚愕・驚嘆を示す点が共通している*1。そういった感動詞的な使用法を目指していたのだろう。だが、やはり、本来の(北方領土という)意味が残りすぎである。しかも時事ネタが元なだけに、時代を超えた普遍性も獲得しづらい。
加えて言うならば、特定のキャラクターとの結びつきがないところも、ギャグフレーズとしての弱さを抱えているように思われる。「アッチョンブリケ」ならピノコ、といった関係性が全くないのである。「日本の国土」は4回とも別のキャラが発している。突発的に使用するしかないフレーズなのである。だから4回しか使われなかったと見るべきか。
したがって、時代を経た今となっては、フレーズだけが浮いてしまって、非常にシュールなセリフとなってしまっている。そのシュールさが逆にウケる気もしないでもないが。
ところで、問題っぽいものもいくつか残っている。
一つはフレーズの由来。オレのおぼろげな記憶だと、北方領土といえば、「北方領土は日本固有の領土」というフレーズがまっさきに思い浮かぶ。テレビCMなんかで流してたはず。
と思って調べたら、さすがネット。ようつべにあった。
政府広報・他CM - YouTube
(昭和60年頃のCMと思われる)
「北方領土は日本固有の領土です」が当時ばんばん流れていたフレーズであり、強く印象に残っている。一方で、「日本の国土」というフレーズそのものはあまり聞いたことがないなあ。
では、「日本の国土」はどこで誰が使っていたのか。いくつかのサイトの記述に見られるように、田中角栄なのだろうか? 正確なところが知りたいねー。
もう一つは使用時期の問題。何故1982年になって突然使い始めたのか。たまたま突発的に思いついたギャグなのかどうなのか。まー、そこら辺は個人の主観が絡んでくるから、なんとも言えないところだけどね。
てな感じで、マンガのセリフ一つ取っても、いろんな事象と絡んでくるという、良い例であった。
本文に示した以外の参考サイト:
手塚治虫の作品「七色いんこのネタ」で登場人物の叫び声が「日本の国土」と - 漫画・コミック - 教えて!goo
「日本の国土っー」について(Internet Archive)
*1:正確に言うと、新規情報の発見・獲得に伴う「驚き」。