ネ言 negen

たいしたことは書きません

終助詞「よ」の位置付けって、井上(1997)*1の記述がもっともスマートなんじゃないかって気がしてきた。

「Pよ」は、「Pということが真になる」ということをひきあいに出して「話し手と聞き手をとりまいている状況とはどのようなものか」ということを述べるための形式である。
(井上(1997), p.65)

大学院の講義(←なぜか持たされている)で、終助詞の話なんぞをちまちまとやっているのだが、「よ」って意外に説明が難しい。注意喚起だとか、告知だとか、いろいろ用法があるが、それをまとめあげるとなると、じゃあなんだ、ということになる*2

旧来の「知っている/知らない」で(「ね」と比較して)説明するのが楽なのだが*3、もちろんそれではダメなのは談話管理理論あたりで明確になっちゃってる。しかし、つきつめていくと、どんどんどんどん抽象的になってしまって、逆に説明としての有用性が失われてくるデメリットも出てくる。

落としどころとして、井上(1997)の記述がいいのかなー、と読み返してみて思った。

当然、問題もある。「Pよ」という記述から分かるとおり、これでは“命題+よ”のパターンしか説明ができていない。「よ」は間投助詞にもなるし*4、単独用法*5もある。これらの派生パターンも説明できるのかどうか。

考えるのメンドクサイので、今は考えない。

*1:井上優(1997) 「「もしもし、切符を落とされましたよ」 ―終助詞「よ」を使うことの意味」『言語』Vol.26, No.2, pp.62-67, 大修館書店

*2:そもそも、この“注意喚起”“告知”の概念が分かりづらい。

*3:そして理解されやすくもある。

*4:それでよー、結局よ−、どうなったんだよー。……みたいなもの。

*5:よう、ちょっと休憩しない? ……みたいなもの。