ネ言 negen

たいしたことは書きません

ハイライト

 漫画表現の中の、光を反射しない眼について - ポンコツ山田.com

一般化した言葉で言えば、「光を反射しない眼を持つキャラは、他のキャラとコミュニケーションの土台を同じくしていない」というようになるでしょうか。両者の意思の次元の高低はどうあれ、普通の眼を持つキャラと、つや消しの眼を持つキャラでは、その瞬間に十全なコミュニケーションをとることができなくなっているのです。

うむ、確かに、瞳のハイライト(元記事で言う「光を反射しない」「つや消し」)が無いと、(自)意識の喪失といった特徴が役割として与えられるね。まんがを読んでいく中で、自然と受容してきた表現であるが、こうやって的確に説明されると納得が行く。

会話分析のターンテイキング・システムを引き合いに出せば、会話のキャッチボールは、会話の語尾を誰かに投げかけたり、誰かに引き取ってもらうことで進行していきます。相手の自発的な引き取りは、普通の会話では、言葉のイントネーションはもとより、視線の交換などでも発生します。

突然、turn-taking system*1の話が出てきたのでビビったよ。まさにその通りでございます。

少し気になるのは、逆に、ハイライトを付けるという漫画的表現手法がいつ生まれてきたのかってこと。そちらの土台があってこそ、ハイライト無しの役割が確定するはずなので、「ハイライト有り=生き生き」という役割がどうやって定着したのかも知りたいところ。


ついでに。手持ちのまんがから例を一つ。

津田雅美彼氏彼女の事情』第9巻、白泉社、2000年3月、p.211)

有馬という登場人物の、隠された闇の人格が現れる名シーンである。左が普段の有馬(超優等生)、右が抑圧されている心の闇的な人格としての有馬(残虐・自己中志向)。完全にハイライトが無いわけではないが、闇有馬のほうがハイライトの分量が少ない。こうした、普段は抑圧されて顕現しない人格の描写にも、ハイライトの有無が効果的に用いられている。

「抑圧されている人格」→「人前には現れない」→「そもそもコミュニケーション取れない」→「ハイライト無」、と考えると、この闇有馬もうまく役割を説明することができそうだ。表の自分とのみコミュニケーション的なものを取る闇有馬という存在を的確に描写しているといえる。


うーん、目って面白い。

*1:Sacks, Schegloff, and Jefferson (1974) A simplest systematics for the organization of turn-taking for conversation. Language,50