ツンデレ言語論(7)
え? 何年振り?
ツンデレ言語論(1)、ツンデレ言語論(2)、ツンデレ言語論(3)、ツンデレ言語論(4)、ツンデレ言語論(5)、ツンデレ言語論(6)
どんだけほったらかしなんだよ、オレ。
というわけで、続きを書いてみます*1。ツンデレ言語論(6)の続きなので、未読の人はそちらを先に読んでからどうぞ。あ、あと、あまり精査してないんで後で修正するかも。
◆比較1 ―他の終助詞―
ツンデレ発話に用いられる終助詞「ね」は、他の終助詞、例えば「な」や「よ」なんかと比べると違いがはっきりしてきます。
(14) し、心配してるわけじゃないんだからなっ!
(15) し、心配してるわけじゃないんだからよっ!
(14)(15)は、まあ、ツンデレっぽさは失われてはいないと思われますが、キャラクター属性として別の側面が加わっている感が強いのではないでしょうか。勝ち気とか男勝りとかね。
ただし、ここで重要なポイントとして押さえておきたいのが、たとえ別属性が付加されたとしても、“ツンデレっぽさが失われていない”というところです。それを踏まえて、次の例を見てみましょう。
◆比較2 ―「ね」が無い場合―
では、終助詞を取り除いてみたらどうなるでしょうか。(16)はおそらく大半の人がツンデレであると認めるでしょう。つまり、終助詞が無くてもツンデレ加減はすこしも減じないのです。このことは何を意味するのでしょうか。
終助詞「ね」はツンデレ発話に不可欠な要素ではないと言えるのです。
以前のエントリーで指摘したとおり、冒頭のつっかえや文末の「のだから」は、ツンデレ発話にとってかなり重要な表現形式であると言えます。無いと全然ツンデレっぽくなりませんからね。
ということは、ツンデレという属性と強力に結びついている形式は、つっかえや「のだから」であり、終助詞「ね」はそれほどまでの強い結びつきは無いと考えることができます。
従来、終助詞「ね」もツンデレ発話の一要素と言われてきていますが*2、こうやって考えてみると、「ね」はツンデレ発話に必須の要素ではなく、既にあるツンデレ属性を補強しているに過ぎないと捉え直すことができそうです。
このことは前エントリーで示した「ね」の使用数の微妙な少なさ加減も説明することができそうですね。
◆別視点
ちょっと違った視点から、ツンデレと「ね」の関係を見ていきましょう。
それは「間投用法」です。間投用法ってのは、終助詞をいわゆる文節末で使用するものです。
(18) あのさ、お金をさ、貸してくんないかな。
(17)(18)における「ね」や「さ」が間投用法です。終助詞って本来は文末に付けなきゃいけないんですが、文の途中、つまり文節の終わりに挟み込むような形で使うこともできます。研究者によっては、間投助詞という風に呼び分けたりもしています。特に「ね」や「さ」なんかが間投用法としても使われやすい終助詞です。
で、「ね」の間投用法を考えてみると、意外にもツンデレ属性と関わってくることはありません。
(19)のような形で、文節末に「ね」を用いたとしても、それがツンデレ属性を発露させる要因にはならないと思われます。実際、釘宮(2007)、釘宮(2008)の「ね」を調査したもの(前エントリーの表を参照)においても間投用法はただの一つも確認できませんでした。
これは一体どういうことを意味するのか。
ツンデレ発話における「ね」は、より終助詞らしい使い方が必要となってくるということです。もともと、ツンデレ属性補強のための要素ですが、その使い方に制限があるのです。本来の終助詞として使わないと、ツンデレ属性が補強されない、間投用法として使ってもツンデレ属性補強には何の役にも立たないと言えるのです。
このような考え方になんとなーく似ているのが、定延(2007)等で提案されている「キャラ助詞」と呼ばれる概念です。キャラ助詞とは、
(21) これだワン。
これらの例に見られる「ぴょん」とか「ワン」とかいった、発話者(書き手)のキャラクター像を何らかの形で特徴付ける形式のことです。誰が見ても、(20)はウサギだし、(21)はイヌと解釈する。かといって、実際のウサギやイヌがしゃべるわけはないから、発話者の特徴を何かだそうとするための表現手法と考えることができます。特定のイメージを与えようとするという点では、役割語との類似性を見ることができます。*3
そして、定延(2007)ではキャラ助詞の特徴として、次のようなことを述べています。
文中において、キャラ助詞が最も現れそうな環境といえば、終助詞(間投助詞)やキャラコピュラの例から考えても、「文節末」である。その環境にさえキャラ助詞が現れないのは、キャラ助詞が文末らしい文末にしか現れないからである。
(定延(2007), p.37・太字強調はnegenによる)
キャラ助詞は文末にしか現れ得ないと指摘しています。文節末や倒置文といった、「文の中」には出てこれないのだそうです。たしかに、↓の(22)は不自然な表現になりますね。
明らかに不自然となるかどうかという点に違いはあるものの、ツンデレの「ね」もキャラ助詞も、文末以外ではその効果を発揮しない、という共通点を見てとることができるのではないでしょうか。
定延(2007)が「くだけた印象とは裏腹に、キャラ助詞は、「文末らしい文末」というきわめて文法的な生気環境を持」つ、と言っているように、何らかのキャラクターを特徴付ける表現は、無差別的に出せばいいってものではなく、ちゃんと文法に配慮した形で用いなきゃダメなんですね*4。
終助詞「ね」も、ツンデレ属性発露のために無差別に使っちゃうのはダメで、その位置取りにある種の制限があると捉えることができるでしょう。
つまり、ツンデレの「ね」は終助詞ではなくて、
キャラ助詞だったんだよ!
Ω ΩΩ<な、なんだってー!?
|┃ |┃三 ,ィ, (fー--─‐- 、、 |┃. ,イ/〃 ヾ= 、 |┃ N { \ |┃ ト.l ヽ l ガラッ.|┃ 、ゝ丶 ,..ィ从 | |┃ \`.、_ _,. _彡'ノリ__,.ゝ、 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |┃三 `ゞf‐>n;ハ二r^ァnj< y=レヽ < 話は聞かせてもらったぞ! |┃. |fjl、 ` ̄リj^ヾ)  ̄´ ノ レ リ | 人類は滅亡する! |┃三 ヾl.`ー- べl,- ` ー-‐' ,ン \____________ |┃ l r─‐-、 /:| |┃三 ト、 `二¨´ ,.イ | |┃ _亅::ヽ、 ./ i :ト、 |┃ -‐''「 F′:: `:ー '´ ,.' フ >ー、 |┃ ト、ヾ;、..__ , '_,./ /l
◆結論
まとめてみましょう。
ツンデレ発話に終助詞「ね」は必須の要素ではないことが明らかとなりました。
冒頭のつっかえ、「のだから」は、ツンデレ発話にとってほぼ必須の要素であると言えます。この二つの要素によってツンデレとしてのキャラクターは十分に確立されるのです。したがって、終助詞「ね」はその確立された(ツンデレとしての)全体像を補強し際立たせるために、文の一番端っこ、文末に置かれるしかないのです。ツンデレの「ね」はキャラを立てるためのキャラ助詞的要素なのです。
微妙にツンデレの「ね」の終助詞としての働きが捉えにくかったのもうなづけます。そもそも、一般的な終助詞とは振る舞いが異なっていたんですから。
……つか、これ、説得力のかけらもない暴論ですから。信じないよーに。でも、まあ、可能性としてはこうゆう捉え方もアリかなって気がしないでもない。
次回は……、あるのか?
◆参考文献
釘宮理恵(2007) 「ツンデレカルタ」
釘宮理恵(2008) 「ツンデレ百人一首」
定延利之(2007) 「キャラ助詞が現れる環境」『役割語研究の地平』くろしお出版