ネ言 negen

たいしたことは書きません

春はあけぼの

 「蛙」?知らない大学生35% (読売新聞)

 それによると、古文では、枕草子の「春はあけぼの」の意味を「春は夜が明け始めるころが素晴らしい」と正答できた大学生は62・9%。松尾芭蕉の俳句「古池や 蛙飛び込む 水の音」の「蛙」について、「カエル」と答えたか、「かわず」という正しい読み方を答えた学生は65・3%だった。

「春はあけぼの」っていったら、春場所は曙が優勝するっていう予言を記した古典的名書だよ。ちなみに夏は武蔵丸、秋は小錦、冬は益荒雄。……冗談はさておいて、春よりも「冬はつとめて」のほうがもっと分からないと思うぞ。

虫編の漢字は、まあ、難しいやね。蛙蜥蜴蠍虹蜘蛛蟷螂蜻蛉蚯蚓蝙蝠蝶蝗。
あああああ、漢字見てるだけで気持ち悪くなる。

また、童謡「赤とんぼ」の「負われて見たのは」の歌詞の意味を「背負われて見たのは」と正答できたのも61・6%にとどまり、「追いかけられて見た」という誤答が目立った。

これは分からなくもない。「夕焼け 小焼けの 赤とんぼ 負われて 見たのは いつの日か」。この歌詞だけで「おわれて=背負われて」と解釈するのは難しい。教えられない限りは「追われて」と解釈するだろう。

待てよ、そうなると、「見た」の位置付けがやっかいだ。アスペクト助動詞の「てみる」解釈だと「追われてみる」となり、なんか、わざと追いかけられている感じがする。普通の動詞「見る」解釈だと、「追われながら見る」となり、これも状況がイマイチつかみづらい。後ろを振り返りながら「追われて」いるのだろうか。「追われて」解釈の場合、全体の表現が不明瞭になる気がする。全体がおかしくなるとなると、「追われて」はキャンセルされてもよさそうだ。それでも「追われて」解釈が出てくるのはなぜだろうか。

それは「赤とんぼ」と「おわれて」が連続してるからだ。普通はここに何らかの結びつきを解釈するだろう。となると、「赤とんぼに追われて」だ。でも、実際は「赤とんぼ」は「見る」と結びついている。「赤とんぼを見る」だ。分かりにくいよ。そして、「赤とんぼ」以外に、動詞と結びつきそうな生き物が明示されてないことも大きい。背負う人も背負われる人も明示されてないんだから、なんとかして唯一の生き物である「赤とんぼ」と「おわれて」を結びつけようとするわな。

と、歌詞にウダウダ言っても仕方がない。そういうもんだと覚えておきましょう。