ネ言 negen

たいしたことは書きません

自動車ショー歌 未来編

エントリータイトルに特に意味は無い(笑。

前回前々回のエントリーに、tmogiさんとkuzanさんからコメントをいただきました。それを踏まえて、さらに解釈を進めていこうと思います。

お二人からのコメントで、私がまったく引っかからずに解釈してしまった「骨のずいまでシボレーで」に別解釈の可能性が出てきた。二人の解釈は以下の通り。

 「骨のずいまでしぼられる」 ……tmogi氏
 「骨のずいまでしゃぶられる」 ……kuzan氏

私の場合、「シボレー」の「ボレ」部分に注目して、「ボレ」→「(一目)惚れ」→「惚れる」と解釈したのだが、お二人とも「シボレー」の「シ」を生かす形で解釈している。んー、なるほど。

「骨の髄まで」という慣用句は、「とことんまで」「徹底して」といった意味を表す。この慣用句との組み合わせでは、「惚れる」でも「しぼられる」でも「しゃぶられる」でも解釈ができるので、どれが良いのかはまだ分からない。

そこで、次のフレーズ「あとでひじてつクラウンさ」と関連付けて考えてみる必要がある。二つの文、

 骨のずいまでシボレーで
 あとでひじてつクラウンさ


これらをどう辻褄が合うように解釈するかがポイントとなる。

「クラウン」は「食らう」でまず間違いないだろう。「ひじてつを食らう」で意味がちゃんと通る。肘鉄を食らう人間はお姉ちゃんを口説き落とそうとしている男である。「肘鉄(肘鉄砲)」を明鏡国語辞典で引いてみると、

1 腕を曲げ、ひじで相手を突きのけること。
2 相手の誘いや申し込みを強くはねつけること。ひじてつ。


とある。kuzanさんの解釈は意訳すると「さんざん貢がせておいてあとはポイ」となるので、この肘鉄の2の意味と合致する。つまり、

 「さんざん貢がせる(骨の髄までしゃぶり尽くされる)」
  ↓
 「そのあとの誘いは断っちゃう」
  ↓
 (男の気持ちは「うがー!」)

このような文脈を考えると、「しぼられる」「しゃぶられる」と解釈するのも妥当なような気がする。もっとも、「あとの誘いは断っちゃう」という流れに至るのは、「惚れた」解釈でも同じであると思われる。

 「とことんまで惚れて口説こうとする」
  ↓
 「そのあとの誘いは断っちゃう」

……ん? なんか、微妙につながりが悪いかな? 間にもうワンクッションいりそうな感じ。

となると、インパクト的にも、「貢いだけどオッケーしてくれない」という解釈が発生する「しぼられる」「しゃぶられる」のほうがいいのかな。そんな気がしてきた。

ただ、この「あとで」というのを、場面転換の接続詞として捉えることもできそうである。そうなると、「肘鉄を食らわせる」動作の主はお姉ちゃんに限定されなくなる。普通に考えれば、肘鉄の動作主はくどく対象である「お姉ちゃん」である。しかし、別の動作主の可能性もある。それは「男の奥さん」だ。

 「男がお姉ちゃんに近づく」
  ↓
 「貢いで骨の髄までしゃぶり尽くされる(要はお金が無くなる)」
  ↓
 「奥さんにばれて肘鉄を食らう」

ってな文脈を想定することもできるだろう。この場合、肘鉄は明鏡国語辞典では1のほうの意味になる。物理的な攻撃だね。おお、こわい。

まあ、肘鉄の動作主が誰であれ、「シボレー」の解釈は「しぼられる」「しゃぶられる」のほうが良さそうってところに変わりはない。てなわけで、

 骨のずいまでシボレーで
  →骨の髄までしゃぶられて/しぼられて

に解釈変更。

……と思ったが、もう一つ問題があった。「シボレー」の直前のフレーズ、「ニッサンするのはパッカード」とのつながりだ。私は「パッカード」を「馬鹿だけど」と解釈した。「〜けど」は逆接の接続助詞。したがって、「毎日通うのは馬鹿な行為。けれど、ホニャララ」という関係でつながるはずである。しかし、

 「毎日通うのは馬鹿な行為だ(と思う)けれども、貢がされた上にお誘いを断られた」

という表現はつながりとしておかしくなる。逆接である以上、「馬鹿な行為」とは正反対の行為・現象がホニャララに来なければならない。これでは「毎日通って貢いで断られ」ちゃって、踏んだり蹴ったりだ。逆接でつなぐことはできない。

となると、「パッカード」の解釈か「シボレー」の解釈のどちらかが間違っているということになるのではないか。


もう、分かんね。放棄。



さて。前回の解釈では結局不明だった「オペルオペル」だが、ググってみてもこの部分に明確な解釈を与えたものは見つからなかった。もう一度挙げておこう。

 オペルオペルはもうお止し


よく見てみると、ここにはさまざまなヒントが隠れている。

◇一つ目:「お止し」の発話者
これは文体から女性の発話と判断することができる。しかもある程度年配の女性、そう、スナックのママのような属性が喚起されるだろう。
◇二つ目:「お止し」の意味・意図
「やめなさい」という意味だから、(男の)何らかの行為をやめさせようとしていると考えることができる。構文は「〜はお止し」となっているので、「〜」の部分にその行為、あるいは類似の表現が来ることが予想できる。
◇三つ目:「もう」の意味・意図
副詞「もう」にはいくつかの意味があるが、いわゆる否定命令表現(禁止・制止)と共起した場合、「想定した程度を越えたさま」を表すといえる。「もうやめろ」「もう食べるな」等々。つまり、ここで「お止し」と言っている行為が既に度を超えたものであると捉えられるのである。
◇四つ目:繰り返し形と「は」
当初、オペルオペルと繰り返されているために、擬音語の類ではと考えていたが、擬音語と「は」というのはあまり結びつきにくい。「ゴロゴロは」「ジャンジャンは」等々。となると、オペルオペルは擬音語ではなく、上記のヒントを総合すれば、何らかの動作・行為を表す表現ではないかと思われるのだ。


このようなヒントから、可能性のある解釈を考えてみよう。


◆可能性1:「ル」に注目する
この「ル」を動詞の終止形活用語尾と捉えると、いくつかの候補が挙げられる。

 「おごる、おごる」
 「おくる、おくる

「ペ」の音をまったく無視することになるが、このような動詞の繰り返しが考えられるのではないか。動詞はいろいろあるが、「飲み屋」「お姉ちゃん」「口説く」といった文脈から想起されるのは、「おごる」「おくる」といったあたりだろう。「飲み代をおごる」「家まで送っていく」といった行為はもうやめなさい、と店のママさんにたしなめられているのだ。んー、なんか、良さげ。


◆可能性2:「ペ」に注目する
「ペ」を生かす形での候補としては、

 「おべっか」
 「おべんちゃら

こんなのが考えられる。両方とも「お世辞」の意。お姉ちゃんを口説くときにはお世辞は必須。と捉えれば、なんとなく辻褄が合いそうな気がする。また、「ペ」の「エ」の音に注目すれば、

 「お世辞、お世辞

等も候補にはなる(ちょっときついけど)。


……いろいろ考えてはみたものの、どれもいまいちしっくりこないなあ、と落胆していたとき、私に何かが降りてきた。もしかして、

 「惚れた腫れた

かも? 語呂合わせ的には少し離れてしまっているが、意味的には一番文脈と合っている。うーん、これかな?