未踏の終助詞
日本語の終助詞はどんな要素に接続するのか。これを説明するのは非常に骨が折れる仕事である。
終助詞というくらいだから当然文末に付く。命令形にすら付くから、文末には付くと言い切っちゃっていいかもしれない*1。
(1) 今日は暑いね。
(2) 早くしろよ。
句末、節末にも付く。人によってはこれを間投助詞と呼んで区別している。
(3) 学校のね、クーラーってね、効かないんだよね。
(4) 眠くなったからさ、もう帰って寝るよ。
ここらあたりまでは、まあ、概説書なんかでも書いてあること。しかし、句末だからといって付くとは限らない。終助詞の句末接続(間投用法)を捉えきるためには、複雑怪奇な句レベル・単語レベルでの現象を押さえないといけない。単語レベルで、例えば感動詞を取ってみると、
(5) ええとね / あのさー / まあな
(6) *へえね / *ふーんよ / *うおっぞ
終助詞が付くものと付かないものがある。また、応答詞は応答として機能する限りにおいては終助詞が付かない。
(7)A これ、喰える? B*はいよ。/*いいえね。
(5)(6)(7)なんかはおいらの専門だが、付く付かないの基準は説明できません。さらに、ものすごく当たり前すぎて誰も気にしていないのだが、挨拶表現には終助詞が付かない。
(8) *おはようね。/*こんにちはよ。/*おやすみぞ。/*さよならな。*2
しかし、感謝・謝罪表現には付く。
(9) ありがとうね。/ごめんなさいね。/すまんな。
なんで? (8)と(9)の違いはどこにあるのか。聞き手目当てである点は同じだし。これを説明するのはしんどそうだ。あと、挨拶と関連して、呼びかけ表現(呼称)を見てみると、
(10) 君ねえ、何度言ったら分かるんだい?
(11) おまえさー。/君なあ。/太郎君よお。
こっちは終助詞オッケー。はい、だんだん訳が分からなくなってきましたね。おまけにもう一つ。感動詞だけどマイナスイメージな感じの形式を。
(12) *ちきしょうよ。/*くそったれね。/*こらよっ。
終助詞付かないねえ。
終助詞接続の体系的な仕組みを解き明かすのは、大変な大仕事である。はっきり言って険しい道のりになる。でも、例えば「*おはようね」が言えなくて「ありがとうね」が言えるのは何故かを考えるだけでも面白いのではないかと思う。卒論で扱うにはちと高度すぎる気がするが、修論レベルだとそれなりにおいしく料理できるんじゃないかな。
まあ、おそらくは終助詞の意味記述だけでは足りなくて、もっと語用とか機能とかの話に持っていく必要があるのだろう。終助詞ネタの一つとしてこんな未踏領域があるってことで。誰かやってくれ。