赤ペン
別に捏造ではないと思う。言うならば「添削」だろう。
投稿者と添削者の「観点の相違」が根本的な要因と考えられる。論文展開に置き換えてみると、
- 投稿者の文章:序章での問題提起(具体的に考えるのはこれから)
- 添削者の文章:終章での問題提起(具体例を見て出てくる結論・今後の課題)
- 添削者の文章:終章での問題提起(具体例を見て出てくる結論・今後の課題)
という観点の異なりがあるんじゃないかなあ。添削者の観点からすれば、「何らかの意見を結論として述べるには具体例が欠かせませんよ」と。
それを穿った見方で捉えるなら、添削者は投稿者の観点を理解できてない、となってしまうのだ。まあ、読者投稿欄に論文的書き方を当てはめてもしょーがないのだが、双方の「観点の相違」がコトをややこしくしたのだと考えると納得がいく。添削者の観点に悪意・押しつけが含まれていれば捏造になるのかもしれないが、添削後の文章だけではその存在の有無は判別できない。*1
ついでに、関連エントリを読んでみた。
新聞社で読者投稿欄の原稿修正をしてた者ですが - くろいぬの矛盾メモ
1.読者の意見を変えるな
→ 主観的で偏った意見であっても、読者の「言いたいこと」を変えてはいけない。
2.最も大事なテーマだけに絞り込め
→ 言いたいことを1つに絞り、繰り返しや無駄な例示、脱線部分などを削る。
3.誰が読んでもわかる文章にしろ
→ 文体を整え、指示語を減らし、誰が読んでもわかるように具体的な情報を盛り込む。
もとの文章は、そもそも2を満たしていない。テーマが絞り込めていない。「改革」が問題かと思いきや、最後にいきなり「治安の悪化」なんてのが出てきて、混乱する内容である。そこで2を満たすために添削して絞り込むわけであるが、そうすると今度は1に抵触してしまうのですな。「勝手に意見を削るな(修正するな)」と。
つまり、1と2ってのは投稿内容によっては矛盾した指示になってしまうのだ。そこら辺の矛盾というか、齟齬というか、すれ違いもまた一要因であるように思える。
蛇足だが、最初の投稿者の文章は、お世辞にも分かりやすい文章とはいえない。もし学生のレポートとして見るならば、D評価、つまり及第点に達していない評価を与えるだろう。テーマは絞り込めていないし、文章は果てしなく読みづらい(上記引用の3を満たしていない)。どこが変かを指摘していくとキリがないのでやめておくが、文章に表れる指示語(「それ」とか「これ」とか)が何を指し示しているのかを考えつつ読んでいくだけでも、いかにこなれていない文章であるかが分かる。添削後の文章のほうがはるかに読みやすい。
結論。ブログとか掲示板とか、いろいろ媒体はあるんだから、いろいろ使い分けて利用すればいいんでないの? 新聞の投稿欄にこだわる必要は全然無いよ。
*1:具体例を挙げることで問題提起の矛先が狭くなるということも言えるが、完全に矛先が変わってしまってるわけでもないので、故意かどうかは微妙なところ。