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学ぶこと

 オリバーサックスの描いた「障害」 - hiroyukikojimaの日記

数学の授業をする場合、「できる子」だけだとあまり面白い講義ができない。あっぱれなくらい数学ができなくて、それでいて、天真爛漫に自分のアイデアを披露するようなトリックスターがいると授業は盛り上がる。そして盛り上がるだけではない、そういうこどもの考えから、数学の中の概念についての「常識からはずれた見え方」を学ぶことができるのだ。


確かに。

俺が大学で授業をするような立場になって「よかったなあ」と思うことの一つは、凝り固まってしまった「研究上の常識」を刺激する何かが得られるって点だ。

演習の授業なんかをやってると、学生の発表で、こちらの準備した前提・こちらが知っている常識を軽く超越してしまうような論や概念がポンポン飛び出してくる。もっとも、その大半は「いや、そこ論理的に矛盾してるし」「いや、それ検証が足りないし」の一言で片付けられてしまうものなのだが、いくつかは「おお!? そういう見方もあるのか」と脳細胞が活発になるような意見も含まれている。

学生の「(研究上の)常識からはずれた見え方」は、研究者としての俺が持つ「常識」を打ち破るため、つまり研究的な発展をするための良い刺激になるのだ。

もちろん、学会や研究会でも脳みそがぐるんぐるん回転するような刺激的な発表はたくさんある。しかし、授業をする立場で得られる刺激はそれとはまた異なるものである。教える立場でありながら、一瞬、研究者としての姿勢が出てしまう感じ。ジョジョでたとえるなら、教員(本体)、研究者(スタンド)、学生の突飛な意見(スタンドを覚醒させる矢)みたいな関係かな。

授業ってのは、(少なくとも学部生レベルでは)ある程度の常識的な内容を教えなければならない。したがって、普段の授業ではスタンドなんか出さない。学会とかでスタンド使い同士はやりあう。でも、授業の中にも「矢」は隠れているわけです。矢に貫かれて、ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴとスタンドが覚醒するときがあるのです。それがなんか楽しい。



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