ネ言 negen

たいしたことは書きません

関東日本語談話会

久しぶりに告知してみよう。
9月1日に第123回関東日本語談話会が開催されます。皆様、ふるってご参加ください。


Kanto Nihongo Danwakai -saishin-

日時:2012年9月1日(土) 午後2時〜5時


場所:学習院女子大学 2号館4F 241教室
※前回と同じ建物の同じ教室です。建物の場所は学習院女子大学校門の守衛所にてご確認ください。


参加費:無料


発表

「韓国語母語話者における「〜ようになる」文の理解―母語に配慮した文法記述のために―」
植松容子 (昭和女子大学


「自称詞「ぼく」と女性キャラクター ―いわゆる「ボクっ娘」の役割語的分析―」
冨樫純一 (大東文化大学) ・ 浅野総一郎 (大東文化大学大学院)


司会:佐藤琢三 (学習院女子大学

……はい。ネ言の痛い言語論(略して「イタ言」←今考えついた)シリーズ第二弾「ボクっ娘」、やります。

もともと、構想はツンデレ言語論をやっていた頃からあったのだが、ひとまずそれなりの分析・結論を導出することができたので、発表します。つっても、まだレジュメ作ってないけどな。資料収集、議論展開、結論導出はある程度終わったので、発表レジュメという形に構成していくのがこれからの作業。頭の中の構想を如何にして文章化し、かつ、面白く聞いてもらえるような展開にしていくかが、腕の見せ所。



さて、肝心の内容であるが、談話会にエントリーするときに発表要旨を提出したので、それをそのまま引用してみようと思う。

 自称詞「ぼく」は、位相語あるいは役割語の観点では、男性属性(男性ステレオタイプ)と密接に関連する形式として捉えられている。しかし、近年のポピュラーカルチャー作品においては、女性キャラクター(主に少女キャラクター)が使用する場合が少なからず見られ、そういったキャラクターを「ボクっ娘」「ボク少女」などと俗称するようになっている。
 単純な見方をすれば、女性が男性語を使用することで「男性になりきる」「男っぽさを表出する」といった効果が導出されると考えられる。が、以下のような例をどう扱うかが問題となる。


(1) 和登「いじめたわけは なんとかして ボクをおこらせて バンソウコを はがさせようと しむけるため だわ」
手塚治虫三つ目がとおる』第8巻, p.85)


(1)には、自称詞は男性語「ぼく」を使いながらも、文末表現に女性語である「だわ」が現れている。このような“ねじれた役割語”が「ボクっ娘」のセリフには多々見られる。
 本発表では、役割語分析の観点から、女性キャラクターが自称詞「ぼく」を使用することの表現意図や効果を考察する。主として以下の三点について検討していく。


a. 「ボクっ娘」と呼ばれるキャラクターの発生について(調査)
b. “ねじれた役割語”が生まれるメカニズム
c. 役割語の優先順位


a.については、1950年代のポピュラーカルチャー作品に既に「ボクっ娘」が存在していることを指摘する。b.については、男性属性付与のために自称詞「ぼく」が単に使用されたのではなく、男性属性を弱め、女性属性を強めるために生じた“ねじれ”であるという仮説を立てる。c.については、b.の考察を受けて、人称表現よりも文末表現のほうが役割語としての効果が強いのではないか、という主張を行う。


一応、役割語分析としての筋道にちゃんと添っているつもり。テーマはイタいが、内容はしっかりしてるぞw


興味のある方はぜひぜひ聞きに来ておくれやす。



……あ。当ブログでも「ボクっ娘言語論」として連載する予定(は未定)。