オブラートに包んだ言い方
「オブラートに包む」には比喩、慣用句としての用法がある。
直接的な表現を避け、遠回しな言い方をする、のがオブラートに包む、だ。「オブラートで包む」だったり「オブラートにくるむ」だったり、微妙に表現が違ったりもするが、そこら辺はそっち系の専門家に任せるとして(笑)*1、気になったのは、「オブラートに包む」が慣用句として用いられ、定着したのは一体いつ頃からか、という点だ。
当然、オブラートというものがなければ慣用句も発生しないので、まずは、オブラートそのものの歴史を探った。
「オブラート」はラテン語のoblatusが語源。意味は「楕円形」。もともとは、ウェハースのような、せんべいのような形状の、宗教系の供え物のことを示していたようだ*2。で、それが何故か、粉薬を飲むときに用いられるようになった。供え物と粉薬を結びつけたのはドイツが最初らしい。
当時はせんべいみたいな硬いオブラート(硬質オブラート)で、これでどうやって薬を飲むのかというと、オブラートの上に薬を盛る→水に浸す→柔らかくなったところで服用する、と非常にまどろっこしい作業だったようだ。
江戸時代には既に硬質オブラートはオランダ経由で輸入されていたが*3、私たちが思い浮かべる、薄く透明なオブラートというのは、実は日本人が発明したのだ。小林政太郎という医師が1902年(明治35年)に薄く透明なオブラート(柔軟オブラート)を作り出した*4。これによって、劇的に薬が飲みやすくなった。
薬だけでなく、アメ(ボンタン飴が有名だ)とかキャラメルとかを包むときにも使われてた。今の若い人は知らないだろうなあ。アメなんてのは包んである紙ごと喰ったもんだ。逆に、なかなか溶けないなあ、と思いながらビニールを舐めてたこともある(笑。
いつの間にかなくなったよなあ。まあ、包装技術が上がったからなんだろうけどね。
閑話休題。つまり、慣用句「オブラートに包む」の前提となる柔軟オブラートは、1902年(明治35年)にできたのだ。したがって、慣用句もそれ以降に発生したことになる。
……で、「オブラートに包んだ言い方」ってのは誰がどこで使い始めたのか調べてみたけど、分かんねー(ダメじゃん)。一応、日本国語大辞典第二版のオブラートの項には、国木田独歩の作品が挙がっている。
うーむ。柔軟オブラートが完成して6年後にはこのような使い方をしてたのね。
だけど、柔軟オブラートが大量生産されるようになったのは大正に入ってから。独歩の用いた「オブラアト」が日本産の薄いオブラートを指していたかどうかは分からない。また、独歩の例はあくまでも比喩的な表現であって、オブラートに包んだ「言い方」という、言語行動に特化した比喩としては完成されていないように思われる。
同じような例は、直木三十五なんかにも見られる。
と同時に、こういう無数の人たちの要求を正しい方向に導くためには、プロレタリア派の連中はその素材を非常に甘味(あま)い、オブラアトで包む必要がありはしないか。そんなことをするのは非階級的だとか何とか嗤うべきではない、と自分は考える。
――直木三十五『大衆文芸作法』(1932年(昭和7年))
これも「言い方」そのものを喩えた表現ではないねえ。
調査能力はこれが限界です。これ以上は調べらんねー(ダメダメじゃん)。さてさて、「遠回しな言い方をする」ことを「オブラートに包む」と言い始めたのは一体誰なんでしょうか。今のところは独歩が有力かな?
参考サイト
オブラートの歴史 http://www.oblate.co.jp/index7.html
小林政太郎と柔軟オブラート http://www.pref.mie.jp/bunka/TANBO/hakken/page81.htm
オブラートのパイオニア・瀧川オブラートへようこそ http://www.boc-ob.co.jp/
ボンタンアメ http://www.geocities.jp/emit_inc/column/food/bontan.html